私は娘を亡くす前に、尊敬しているカウンセラーさんがいました。
亡くした後、その方のカウンセリングを受けに行きました。
自分が何をどう感じているのか分からない状態で、
ただ思いつくままを言葉にしました。
「辛い」このひと言の中に含まれる膨大な闇
自分を押しつぶそうとしている真っ暗闇
押しつぶされてもいいと思いながらも押しつぶされない自分
その闇に触れることすらできない
今、振り返れば、こんな表現になるでしょう。
その時は言葉として発するにはあまりにも大きすぎました。
娘を亡くしても、日常生活に困ることなく過ごしていたことで
「次の予約はしなくても大丈夫でしょう。もう少し様子を見ましょう。」
と、、、そのまま帰りました。
こんなに苦しいのに、、、
こんなに辛いのに、、、
こんなに悲しいのに。。。。。
死にたいのに死ねない、死んではいけない。
愛する子どもたちはあの子だけではない、、、
この身体の中にあるはみ出しそうなくらいの大きな鉛の玉は、、、
決して出すことはできない。
帰り道、絶望といってもいいくらい、何をどうしていいのか、
このまま様子を見ましょうと言われて、どう生きたらいいのか、
それも分からないまま、どう生きるを続けていけばいいのだろう。。。
暗闇は深く濃くなっていきました。
非常に辛いことに出会うと
言葉にならない自分の思いに気づきにくくなります。
非常に辛いことに出会うと
外からの刺激にとても敏感になります。
壊れていきそうな自分の心を守るため、
あえて一番辛いところを感じるルート絶つのでしょう。
私がその時支えにしたいことは、たった一つでした。
あの子のいる世界が存在する。
魂として今も存在し続け、無になった訳ではない。
私の寿命が尽きる時、それは再会の時なのだ。
この背景がないカウンセリングは受け入れられなかったのです。
敏感になっている私の感覚は、
その背景が無いことを感じ取っていました。
誤解のないように、
決してその方が悪いわけではありません。
私がそういう状態であったということであり、
その時の私の状態はカウンセリングでは、
解決されないものだったのです。
今、思えば、解決なんて、無理でした。
受け入れる、それが嫌で嫌で、
考えられなくて、現実と思えなくて、
全てを拒んでいたけれど、
ただ一つの救いを求めていたのでした。
実感として、私は娘の葬儀の朝から「合図」と言われるものを感じていたからこそ、
その世界に確信を持っていく道を選んでいたのでしょう。
ネットで同じ経験をした方たちを探し回り、
どう生きていらっしゃるのかと、
そして「子どもを亡くした親の会」
というグループがあることを知りました。
出愛、支え愛、癒し愛の世界でした。
また、江原敬之さんの講座にも通いました。
さまざまな人たちがスピリチュアルの視点から人生を生きていることに出会うたびに、
見えない存在としての娘と一緒に生きることの確認を続けてきました。
そして「岡部明美さん」と出会い、
カウンセラーセラピスト養成講座を受講する中で
「無意識」が「身体」を通して雄弁に語る世界に出会いました。
全く初めての世界に驚きしかありませんでした。
私の場合は、子どもを亡くしたことが引き金になり、
自分の人生を自分で生きるための道へ修正しようとしていたのです。
カウンセリングセラピーは、
私の知るこれまでのカウンセリングと新しく出会ったセラピー、
どちらのスキルも自由に活かしあうセッションでありたいとの願いを込めました。
より響きあい深め合う人生の旅路、
魂レベルでの歩みをご一緒するために、
カウンセラーではなくセラピストとしての道を選びました。
私たちは魂として旅をする存在、
「今ここ」のこの世もその旅の一部であり、
魂を磨くための経験を積む旅であるということです。
最終的にそれぞれの魂は一つであるということを感じながら、
ご縁の皆さまと共に歩んでまいります。